明星

東雲あかりの現代詩

残照のウルトラマリン

血だまりの中に顔を埋めて
息継ぎするように空を見上げたんだ
真っ赤な空だった
虹彩から忍び寄る
無重力な暗闇
乱暴に拭おうとして
肩先すら動かせないでいた
沈みかけの太陽が
西空の境界線で融け落ちて
姿をなくしたのに光は失われていなかった
あんなふうになりたかった

ねえ、小人の靴屋の話を知っている
夜毎に働く
はだかのこびと
まずしい靴屋が救われる
大事な仕事は
僕たちが目をつむっている間に
済んでいて
姿を知れば逃げていく

瞬く間に星があふれた
熱が唇から抜け落ちていくのがわかるんだ
何百万光年も先にある
灼熱の天体が放つまばゆい光を
どうして温もりのない優しい光と
感じてしまうのか
まるで瑠璃色に輝く鉱石だ
かすかにまたたいている

あの話には続きがあるんだ
文字も読めない貧しい女が
こびとの世界へ招かれる
産まれたこびとに名前をつけて
三日の間こびとと暮らす
つかの間に
七年の時が流れて
誰も女を覚えていない

星の光は
密度をなくした太陽の光だ
残照の消えた夜空に
数百万の星をちりばめて
漆黒の空を群青色に灯している
星の名前は誰も知らない
あのとき
ここにいた
僕の名前も
誰も知らない
ただ遠く離れて姿をなくしても
残照の夜空に似た
深い深い群青に
辺りは包まれている

詩人になりたかった僕のために

ほら、にぎやかなスピーカーから
事件です、事件です、事件ですと
現場臨場を求めて
騒ぎ立てる深夜の喧騒
テレビジョンから垂れ流される
通信販売のアドセンス
眠れない人のために作り上げた
眠らない町の、眠らない警察が
二十四時間
君を守り続けてくれる監視社会で
コピーライトの付いていない
ことば を探して
商業ビルの非常階段や
しとどに濡れた植え込みの陰に
酔いつぶれたふりをして
寝そべっているんだろう

とっくに気付いているんだ

手垢の付いていない
ことば なんて
街では見つからない
君が書を捨てて町に出てから
いったいどれだけの
グラスを空にして
何万人の詩人や革命家が
反権力の尖兵として
保護房に隔離されたと思ってる
あそこでは
広告収入で残業代を支払って
法律用語で君を守ってくれる
そこから出ていく自由は
奪われてしまうのに

いっそこのまま溺れていたいんだ

ねえ、今こそ武器をとるんだ
君のての中に自由はあるか
そこに救いはなくても
ことば は今もここにある
赤い旗を掲げて
群集を煽動した女神のように
君のことばが必要なんだ
電源ケーブルを切断しても
インターネットに拡散した
君の自由は消えてなくならない
立ち上がれ
もう一度 孤独の中で
叫べ 冷たい壁に向かって
もっと  ことばを
もっと ことばを
もっとことばを

テロル

半分だけ開かれた窓から
遠くの丘にそびえ立つ
コンクリートで造られた神様の
上半身を眺めながら
何日も何日も
奴隷のように
自慰に耽っていたんだよ

時には
神様の首から上がお前に見えて
恐ろしさに震えながら
性欲の有り処を
懸命にまさぐって
背徳感に嗚咽した

時には
私の顔をした両性具有が
窓枠まで忍び寄り
賤しい私の本性を模写して
告げ口しやしないかと
壁にすがって慟哭した

この永遠に半分だけ開かれた
お前と私をつないでいる窓からは
半透膜のように
孤独な視線だけが透過していく

あの丘に立つ
神様の足下にすがる
何億人もの善良な男女の
祈りを消す
爆薬を
天空から
驟雨のように降らせたい
神様、私は
まだここに、
今もここにいますと。

センチメンタルと遺書

君が
あの日の君のために書いた
宛名のない手紙は
何度も濡れて、乾くたびに
今では筆圧さえたどれない
干からびて黄ばんだ
便箋の
罫線に刻まれた
嘘っぱち
乾いた筆跡を
指先でなぞり
幾日、幾夜
おまじないの言葉を
そらんじて
君が唱えた
おまじないの数だけ
感傷的な神様が
幸せを約束してくれるとでも
きっと
あの日の君は
そう思ったんだね
さようなら
さよなら、センチメンタル

耳鳴り

傷口は傷痕に変わり
昨日とは違う今日に
今日とは違う明日に
もう道に迷うこともかなわない
今ですら
潮騒の遠鳴りをたどり
足跡の消えた砂浜を探して
空を仰ぎ
航跡を追う
変わらない街並みと
変わらない記憶と
変わらない感情と
変わらない営みと
変わらない、変わらない
変わらないでいる
限りある記憶の源泉から
溢れ出す
遠い潮騒
あの砂浜に
消えた足跡が泳いでいる
波打ち際で
今ですら
潮騒が
遠く、遠く聞こえる

ピアノが泣いて

雨はさめざめと降る
路地の合間を縫い 排水溝を満たし
世界中の隙間に流れ込む
ぬいぐるみと眠る孤独な僕たちは
開け放たれた窓辺にもたれて
ピアノの調べを奏でていた
水面をたたく雨だれは
張りつめすぎた感情の糸を響かせて
七日七晩降りつづければ
かつて神話に語られた大洪水のように
都心のビルディングも水没させるだろうか
 (ねぇ、雲の切れ間から陽が射す頃まで
    僕らを脅かした
      夜毎の夢を覚えていられる?)
そんな憂鬱な雨の季節に
大人の背徳を知ってしまった僕たちは
無邪気だった時代に灯した
希望という青い火にすがり生きているから
窓を閉ざして 心を閉ざして
隣に眠る見知らぬ貴方の胸に顔を埋ずめる
防音を施されたホテルの中まで
雨音が伝わるはずもないというのに
名前も知らない貴方の鼓動に震えて
心を閉ざして 瞳を閉ざして
窓を開け放したままのあの頃に想いをはせる
 (きっと、雨は密やかに浸水して
    今では孤島となった本棚の上で
       ぬいぐるみがうなだれている)
雨上がりの朝に
一夜の恋人がくれた
温もりと残り香に心を重くしながら
通勤ラッシュよりも陰鬱な
閑散とした車輌に行き先を任せる
いつだって始発駅はわかりきっているのに
環状線の列車では
どこまで行けば終着駅にたどり着けるのだろう
 (まして、降車するタイミングなんて
    温もりのないベッドに
     帰ることなんてできるはずもないから)
三周めの列車の窓を雨が打ち始める
世界中の硝子という硝子を鍵盤にして
雨だれが奏でる懐かしい旋律は
人肌で心を温める僕たちには冷たすぎて
瞳を閉ざして 記憶を閉ざして
降車駅を通り過ぎても また街へ向かうだろう
かつて僕らが無邪気だった時代に愛した
くまのぬいぐるみはもうない
楽譜も読めない貴方に抱かれながら
今宵も僕のピアノがむせび泣く

海へ行く

街には雑音が充満しているから
呼吸をするのもままならない
夜が訪れたなら
鏡に映したもう一人の自分を連れて、海へ行こう
地図も標識もない
誰かの足跡をたどりながら
冷めやらぬアスファルトを踏みしめて

指先をつたう静脈血は止血をしても止まらない
身体中の血液が流れ出してしまう前に、

高層建築物の谷間で
もう一人の僕が怯えている
ここから逃げ出そうとするのは
想像していたよりも難しいのかもしれない
痛みを増す両足をひきずりながら
動かないほうの足は
しつこくつきまとう野良犬にくれてしまえ
残された片足は、もう一人の僕のために

はるか昔に片方の心臓はつぶれてしまった
今となっては
左胸だけが鼓動を打ち続けている
海にたどり着く前に僕は
きっと死んでしまう
だからもう一人の僕よ、
どうか片足だけでも海へ運んでおくれ。